メモ庫

色々?

落下と反復、落下の反復——わらふぢなるおのコント『バンジージャンプ』の修辞性について

 

はじめに

 本稿では、わらふぢなるおのコント『バンジージャンプ』に見られる反復がいかなる修辞的効果を持つのか、そしていかに修辞的効果以上の意味を持つのかについて、落下という動作に主眼を置いて解釈を行う。その際、落下のシーンが描かれている有名な三つの映画(『要人無用』『プロジェクトA』『ポリス・ストーリー』)を参照し、落下の描写の違いと、それによって得られる快楽の差異について述べる。

 

  1. わらふぢなるおバンジージャンプ[1]について

 キングオブコント2019で演じられたコント『バンジージャンプ』は、大きく二つの展開にわけられる。前半は口笛なるお演じる客(ツッコミ役)が「7年ぐらい付き合ってた彼女に振られちゃったので、自分を変えたいなと思って」という動機によりバンジージャンプを試みるが、ふぢわら演じるインストラクター(ボケ役)の常軌を逸した行動や言動によって攪乱される。後半は、インストラクターがスリルを追い求めて[2]敢えて危険な状態でバンジージャンプを試み、彼の死を客がロープを投げることで回避させようとする。

 前半に見られるような、ツッコミ役が現れて、ボケ役の狂気的な[3]行動や言動によって日常生活における行為の遂行が遅延され続けるという構成は、初期や中期[4]わらふぢなるおのネタの中でも多く見られる(『メンズエステ』『ケーキ屋』『服屋』『不動産屋』『電気屋』『コールセンター』等)。しかし後期の中でも比較的最近に作られたコントである『バンジージャンプ[5]では、後半にボケ役の大きな身体的アクションが発生し、それに伴いボケ役—ツッコミ役間の関係性も変質する。この「ツッコミ役がいないとボケ役が死ぬ」という関係性がそのままお笑いの構造の反復として考えられるということについては稿を改めて書くことにし、ここではボケ役の身体性に注目してみると、会話を中心に展開される他のわらふぢなるおのコントと明らかに区別されうる。(ただしここでの違いというのは、マゾヒスティックな身体性が実際に演じられている、という点であり、今までそういった身体性についてコントの中で台詞という形で一切登場してこなかったわけではない。『超能力』、ショートコント『ドM専用機』など。)

 わらふぢなるおのコントのもう一つの特徴は、反復である[6] [7]。初期の『ラーメン屋』のように台詞の反復をフリとしているものから、後期の『空質問』のように反復そのものを主題化したコントがある。『バンジージャンプ』においては、客を立て続けに何度も位置に着かせる場面の反復(連続3回、全体で計5回)と、インストラクターが落下して戻ってくる場面の反復(計4回)がある。(また、「ちょっと!僕そういうの他人事と思えないんですよ」「最初からお前のことだよ」は他のコントにも時折挿入されているやり取りであることから、コント間でも反復を行っていることがわかる。)

 以下では主に、この落下躊躇の反復と落下の反復がいかなる効果を持つのかについて映画を参照しながら述べる。

 

 

 

 

  1. 『要人無用』におけるフレーミング、『プロジェクトA』、『ポリス・ストーリー』における落下と反復

 

 『要人無用』(原題:Safety Last!)は1923年にアメリカで製作・公開され、同年に日本でも公開されて人気を博したロマンティック・コメディ映画である。この映画の後半にある、時計の針にぶら下がるという有名なスタントシーンは後の映画にも影響を与えており、例えばオマージュとして『プロジェクトA』(1983年)では、ジャッキー・チェンが同様に時計の針にぶら下がり、そして(元の作品とは異なり)落下するシーンがある。

 これらのスタントシーンとわらふぢなるおのコント『バンジージャンプ』の類似性について書くうえで、ネタを作成しているふぢわらの尊敬する人物がジャッキー・チェンであり、芸人を志す以前はスタントマンを目指していたという経歴を持つことは注目に値する[8]

 さて『要人無用』であるが、映像学的な説明として、以下そのまま引用する。

 

 実際に映画スターたるロイドが高層ビルをよじ登っているわけではなく、中村秀之が説明しているように、高さの異なるビルの屋上でセットを組んで撮影するという、俳優の身の安全を配慮したトリック撮影が用いられていた。このフレーミングの効果を利用したトリック撮影によって、まず、ロイドと地上を同一のフレーミング内におさめることは回避され、両者の空間的な連続性は分断される。〔…〕観客にしてみれば、もしロイドが手を滑らせて落下してしまったときのその高さは、時折挿入されるロングショットや、もしくはミディアム・ショットにおける前景と後景の距離感をもとに想像するしかない。ロイドを切り取るフレームの下は実在しない空間となり、観客は「フレームによって不可視にされている下方(オフの空間)を想像して慄然とする」(中村 97)。つまり、この映画における落下は、奈落の底への墜落を意味するのだ。〔…〕上述のトリック撮影による制約もあり、ロイドの落下運動が描かれることはない。そこにあるのは運動の始点と終点だけであり、その途中は空白となっている。(雑賀 p52)

 

 このとき、観客は「滑稽な道化師を一方的に笑うことによるサディズム的快楽を得ることになる」(同 p54)。

 一方で、『プロジェクトA』では、ジャッキー・チェンの落下運動がロングショットのワンショットで描かれ、ジャッキーは正真正銘、落下する。しかもその落下は2回繰り返され、NGテイクで3回目の落下が映し出されるが、これらはいずれも別々に撮影した映像である。そしてこの作品の次作『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)ではこの落下の反復というものがさらに強調され、同一の落下を異なる角度から映した映像が3回繰り返し映し出される。この反復によって得られる効果は以下のようなものであるという。

 

 観客は落下する衝撃がもたらす苦痛を感じ取ってしまう。しかし、それが反復されることでその苦痛は帳消しにされる。物語上の意味は分散し、落下の運動だけが残る。〔…〕『ポリス・ストーリー』でも三度繰り返される落下がおこなわれている間、観客は物語が再開するのを待たなければならない。反復されなければ、この電飾ポールを滑り落ちるスタントはチェイス(クラフトンのギャグ論における「物語を進行させる水平的領域」)の領域から出ることはないが、反復によって視覚的にも(「物語を中断させる」)垂直的領域のパイに変換される。(同 p64  文中の()内は筆者による)

 

 そしてこの反復によってジャッキーの肉体は記号化し、形象化するが、そのとき観客は「肉体的な痛みの感覚に襲われながらも、それに慣らされ、ジャッキー・チェンのアクションをスペクタクルに変換し、マゾヒズム的快楽を享受するという両義的状態」におかれるという(同 pp64-65)。

 以上で述べた『要人無用』のフレーミング、『プロジェクトA』『ポリス・ストーリー』における落下と反復の理論を、わらふぢなるおの『バンジージャンプ』に対して応用を試みる。

 

 

 

  1. バンジージャンプ』におけるフレーミングと落下の反復

 

 蓮實重彦によれば、映画というのは「縦の世界を垂直に貫く運動に徹底して無力であ」り、表象不可能性がそこに立ちはだかる。つまり、落下は一回きりの運動でありかつ死をもたらすものである。

 ただ映像の場合は『要人無用』のようなトリック撮影、あるいは最近ではCGなど編集技術を用いることで全く不可能であるわけではない。しかし演劇となると、まず劇場には屋外と異なり天井があるため高さを出すのに限界があるし、編集もできない。とりわけコントにおいては舞台美術も限られる。そのためか、落下をモチーフにしたコントというのはあまり見かけないように思われる。

 そんな数少ない落下コントのひとつとして、チョコレートプラネットの『スカイダイビング』がある。このコントでは、長田演じるインストラクター(ツッコミ役)が飛行機の上でスカイダイビングについての説明を試みるが、松尾演じる客(ボケ役)が風の強さによってか全く聞き取れない(「なんで下(地上)で言ってくれなかったんですか!」)。インストラクターは話が伝わっていると勘違いしたまま、パラシュートを客に預け、飛んでいる最中に空中で渡してもらって着けるというパフォーマンスをすると伝え、何も着けずに飛び降りる。しかしそれも聞き取れなかった客はパラシュートが不要なのだと勘違いし、不安をおぼえつつも何も着けずに飛び降りる。落下の結果は描かれず、不在の舞台とパラシュート(の入ったリュック)が残されてこのコントは終わる[9]。(ちなみに、このコントに対して番組MCを務めていた千鳥のノブが「死んだ?」とコメントしている。)

 このコントの舞台設計は以下のようなものである。これは飛行機の代替である小高い台の上に二人がおり、その下には横長の黒い板が立てられている。台から降りて、その板の後ろに隠れることによって落下を表現する。この板によって表象されるのは、「フレームによって不可視にされている下方(オフの空間)を想像して慄然とする」の、「オフの空間」にあたるといえる。そして下方への垂直落下は、蓮實が述べたように一回きりの運動として死をもたらしている。

 一方で、わらふぢなるおの『バンジージャンプ』においては、舞台上の動作は水平的である。「オフの空間」を生みだすフレームは板によって作られているが、その板は二人の身体に対して垂直ではなく並行に立てられている。その板の右側にある台[10]に乗り、そこから板の後ろに向かってジャンプすることで落下を表す。これにより、落下の軌道は「し」の文字を上下逆さにしたような形になるが、客席から実際に見ることができるのは跳躍が描く弧のみであり、垂直落下は想像によって補われるし、補われなければならない[11](実際に落下しているわけではないため)。「そこにあるのは運動の始点と終点だけであり、その途中は空白となっている」。その空白を埋める想像をする際、前半での客の落下躊躇、「こんなんで跳んだら死んじゃいますよ」というインストラクターの発言を巡ってのやり取り、インストラクターが落下した際のリアクション等が効果的な役割を担っている。

 こうした平面的なフレームの設計により、落下は反復可能なものとなる。しかしジャッキー・チェンによる“本当の”落下の反復と異なり、肉体的苦痛は伴わない。「肉体的な痛みの感覚に襲われながらも、それに慣らされ、ジャッキー・チェンのアクションをスペクタクルに変換し、マゾヒズム的快楽を享受するという両義的状態」に観客がおかれるというジャッキー・チェン映画についての批評も、このコントについては当てはまらない。

 しかしこれは、映画とコントの差異というごく単純な理由による。つまり、映画では物語が優位に立つが、コントでは笑いそのものが先行する。よって反復によるギャグは、物語こそを描くことが(少なくとも表向きには)目的化されている映画では「物語を中断させる垂直的領域」だが、物語が笑いに従属するコントでは、その性質上、中断こそが主題化される。 よって、落下躊躇の反復と落下の反復による物語の中断は、ギャグを自己目的化するコントにおいては極めて正当である(ただし後述の通り、この反復はコント的な修辞性に留まるものではない)

 さらに、コントの中でもわらふぢなるおの特徴として、設定をあまり重視していないということが挙げられる[12]。構成も、口笛なるお演じるツッコミ役の日常生活にふぢわら演じるボケ役が現れて妨害するというものが多く、そこにあるのは「生活」と「攪乱」という操作[13]であり、物語ではない[14]。つまり厳密にいえば、中断され続けるのは物語というよりはツッコミ役の背景にある生活ないし生活における行為の数々である(ケーキを買う『ケーキ屋』、ドライヤーを返品する『電気屋』、バンジージャンプを跳ぶ『バンジージャンプ』等々)。

 そしてその際、肉体的苦痛という点でジャッキーに対応するのはボケ役であるが、ジャッキーが映画内で否応なく落下してしまうのに対し、わらふぢなるおのコントではインストラクターが自ら落下を欲望し、遂行する点で狂気的であり、「あれじゃ走馬灯見えないんですよね」という台詞も感情移入を妨げるものである。落下そのものが描かれないという点でも、観客がマゾヒズム的快楽を享受することはない。一般的にコントでは、ボケ役とツッコミ役が分かれている場合、当然ツッコミ役が常識人であるが、『バンジージャンプ』には無いがわらふぢなるおの他のコントでは、ツッコミ役の、すなわち口笛なるおの身体的特徴に言及する台詞があったり(「bが壊れちゃったら、「僕はブクブク太った豚です」って打てないですよね」『コールセンター』[15])と、ツッコミ役の喜劇性が強調されることがある。また、『バンジージャンプ』において他者の死を左右する“手綱”を握る(握って投げる)というのは大きな精神的苦痛であり、観客はそれに感情移入することを促されるというより、ロイドの『要人無用』の観客と同様、その困惑や動揺に対してサディズム的快楽を得る。

 しかしそれだけではない。観客が享受するのは、反復そのものの快楽である。先述した通り、反復はわらふぢなるおのコントの特徴である。とりわけ、コント『空質問』では、疑問文という形式の反復が行われている。また、キングオブコント2018より少し前のマイナビLaughter Nightにて披露されたバージョンでは、空質問をしなかった反動で大量かつナンセンスな質問(「自動ドアは自動で開くんですか?」「おしっこはトイレでするんですよね?」等)をバグのように繰り返すくだりが存在した。このようにある種自動化された反復は、コント『メロス』においてもみられる。

 ここにおいて、反復は一般的な修辞的技法以上の意味を持ち、自己目的化しているように見える。このことは『空質問』『メロス』という強度な反復を扱うコントに限らない。そこでは、演じ手の反復への欲望と作り手の反復への欲望、さらには観客の反復への欲望が一致しているのだといえる。

 

  1. おわりに

 

 未だ解決されていないいくつかの問題がある。「ツッコミがいないとボケが死ぬ」というツッコミ役とボケ役の関係性について、『バンジージャンプ』でのインストラクターの行動原理として考えられるマゾヒズムについて等々。また、反復を扱った本稿においても、反復がいかに快楽となるかについては言及しなかったが、これについては心理学および哲学史上様々な議論があり、それらの中から信用に足る一つの理論を持ち出すことが困難であったことがその理由である。フロイトの『快楽原則の彼岸』の「神経症」にまつわる議論や「死の欲動」からの説明が有効であると現時点では考えているが、なお検討の余地がある。

 

 

[1] 公式の名称ではない。以下のコントタイトルも、筆者が便宜上付けたものである。また、台詞も筆者による聞き書きである。

[2] この意図はインストラクター(ボケ役)から直接話されるわけではなく、客(ツッコミ役)のツッコミからそのように位置づけられている。

[3] 「狂気的」といった形容は本人も認めるところであり、キングオブコント2019の事前インタビューにおける「まあ正統派の中に狂気も交じってるコントが推しみたいな感じですかね。」というふぢわらの発言などがある。(2019年9月)

「<キングオブコント>昨年“準優勝”わらふぢなるお「皆、チョコプラさんしか覚えてない(笑)!」」https://thetv.jp/news/detail/204316/

[4] 本稿では、キングオブコント決勝進出初年である2017年以降を「後期」、新人内さまライチャンピオン大会出場年の2014年から2016年を「中期」、そして2010~2013年を「初期」とする。

[5] Twitter等でライブの感想などを調べたところ、2019年以前のレポは見つからなかった。初出が判明し次第追記。

[6] 以下のブログでは、ふぢわらの旧コンビである南京錠として出場したM-12009の2回戦において、反復の技法が見出されたことが記されている。

M-1グランプリ2009東京2回戦4日目11/7」http://inutuka.jugem.jp/?eid=132

[7] お笑いの文脈では技法として「天丼」という用語が付されているが、本稿では修辞学の「反復法」を前提にしているため「反復」と呼ぶ。

[8] 倉本美津留Youtube大喜利」(2020年10月27日)でのふぢわらの発言。なお、このエピソードが話されたのはおそらくこの時が初めてである。

[9] チョコレートプラネットの『監禁』に見られる、話を聞かない(聞けない)ことによるディスコミュニケーションが(描かれてはいないが)死をもたらすというこのコントは、例えば『ジェットコースター』にも同様の構成が見られる。

[10] キングオブコント2019では二段の階段であったが、ライブではより低い台(一段)が使われていることがあった。また、フレームは板ではなくカーテンであった。

[11] キングオブコント2019では、インストラクターの四度目の落下時に、舞台全体ではなく彼の表情をアップで映していた。その部分を注視すると、上方向に跳躍したときの彼の腰のあたりまで頭が沈んでおり、意外と高さがあることがわかる。ただ、この角度から映すと後ろの壁が見えてしまい、板の後ろを想像上の空間とする舞台設計に反しているようにも思える。

[12] スピードワゴンの月曜The NIGHT(2019年9月24日)でのふぢわらの発言を参照。

[13] ここで用いた「操作」という語は、バタイユのアンフォルム概念を下敷きにしている。

[14] 物語的なコントとしては、『殉職』『不倫謝罪会見』があり、前者は7分超えの比較的長い尺のコントで、後者は番組で披露するために作られたネタである。いずれも珍しい例。

[15] 新人内さまライブチャンピオン大会(2016年)では、「僕はバカな豚です」と台詞が異なる。

 

 

 

引用コント

(演じられるにしたがって筋や台詞の変化を経てはいるが、観た中で最も古い版と最も新しい版を比較することで、おおよそ共通しているであろう筋のみを扱った。)

 

わらふぢなるお

・『バンジージャンプキングオブコント(2019年9月21日)など

・『メンズエステ』オンバト(2013年4月20日)など

・『ケーキ屋』第2回単独ライブ(2014年3月28日)など

・『服屋』第173回サンミュージックGETライブ(2013年2月13日)など

・『不動産屋』新人内さまライブチャンピオン大会(2014年12月12日)など

・『電気屋』新人内さまライブチャンピオン大会(2015年12月8日)など

・『コールセンター』新人内さまライブチャンピオン大会(2016年12月23日)、キングオブコント(2017年10月1日)など(ただしライブレポなどの情報から、初出は2014年以前である可能性が高い。)

・『超能力』キングオブコント(2018年9月22日)など(ただし初出は2015年以前で、現在は閉鎖されたふぢわらのブログより、アイデアそのものは2010年頃にはあったと見られる。)

・ショートコント『ドM専用機』熱烈!ホットサンド(2019年7月27日放送)など

・『ラーメン屋』オンバト(2011年8月27日)(オフエアネタ)など

・『空質問』第5回単独ライブ(2018年5月6日)、マイナビLaughter Night、キングオブコント(2018年9月22日)など

・『殉職』第5回単独ライブ(2018年5月6日)

・『不倫謝罪会見』お願い!ランキング「ネタサンド!」(2020年8月12日放送)

・『メロス』第2回単独ライブ(2014年3月28日)など

 

チョコレートプラネット

・『スカイダイビング』そろそろにちようチャップリン(2019年10月26日放送)など

・『監禁』キングオブコント(2018年9月22日)など

・『ジェットコースター』チョコレートプラネット ベストネタライブvol.2(2017年11月4日)など

 

 

引用文献

 

・雑賀広海「落下と反復のスペクタクル——『プロジェクトA』と『ポリス・ストーリー/香港国際警察』における肉体性と形象性」映像学101号、pp49-68、2019

 

・中村秀之『瓦礫の天使たち——ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』せりか書房、2010

 

・『要人無用』(原題:Safety Last!) Fred C. Newmeyer, Sam Taylor、1923

2019年にパブリックドメインとなった(以下のリンク参照)ため、ネット上で全編映像を視聴することが可能である。

https://lifehacker.com/these-1923-copyrighted-works-enter-the-public-domain-in-1825241296

 

・『プロジェクトA』(原題:A計劃)ジャッキー・チェン、1983

 

・『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(原題:警察故事)ジャッキー・チェン、1985

 

 

参考文献

 

・イヴ=アラン・ボワ/ロザリンド・E・クラウス著、加治屋健司/近藤學/高桑和巳訳『アンフォルム 無形なものの事典』芸術論叢書、2011

(「操作」の語に関して、参考にした。)

 

牛島定信編『精神分析入門』放送大学教育振興会、2007

(「おわりに」で触れたフロイトについての記述に関して参考にした。)

 

 

 

※誤字脱字、問題点などあればご指摘いただけると助かります。

わらふぢなるおが過去に出演した番組やライブに関する情報をお持ちの方、修正すべき点、追記したほうがいい情報などがあれば是非お教え下さい。